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高松 平蔵 著「ドイツの学校にはなぜ「部活」がないのか」
読了日:2024年8月16日
読書ノート
要約・所感
ドイツには部活という概念がなく、地域のスポーツクラブで子どもたちもスポーツをする文化があり、それがドイツの国民性や社会に大きな影響を与えていると言います。
まず第1章では、ドイツの教育について「学校は学問を教えるところ」だと記述がありますが、ドイツでは18歳未満の責任は親にあるとされ、授業以外の面倒を見るのは家庭内で見るのが一般的だそうです。学校が未成年の教育への責任を担い、スポーツ(部活)や補習も先生が実施する日本とは大きな違いですね。
また第2章では、スポーツクラブの他、ドイツでは地域に関わる活動はすべてNPO主体で実施されるそうです。そのため、第3章で触れられていますが、公共は「誰にでも開かれていて、自分たちで作るもの」という価値観が根付いているとのことです。
それらの根底にあるのは「赤の他人との連携を前提とした都市システム」にあり、日本の地縁・血縁を中心とした社会システムとは大きく違います。さらに、ドイツでは地方分権も進み、人口10万人の都市でも、都市機能が充実し、スポーツクラブも100以上存在すると言われています。
そんなドイツでのスポーツですが、日本の部活と大きく違うのは、学校教育の外で行われているということ。先輩後輩というシステムもなければ、学校を代表して勝ちにこだわる必要もなく、地域の施設で行うので練習時間は短いのが特徴。
それでも個性に合わせて、能力があればプロ選手として引き上げることもありますが、ほとんどのドイツ人はQoLや健康の向上を目的にスポーツを楽しんでいる人が多いと言います。
その背景には、ドイツ人がスポーツに求めることとして「社会的能力の育成」があり、宗教などによる倫理観の形成やWhyを考える思考習慣があることが伺えます。
つまり、彼らは小さい頃から教養を身につけており、その教養をベースに「自分の人生は自分で決める」という自己決定を大事にしています。
だからこそ、労働時間を交渉して長期休暇を獲得し、余暇時間を通じて多様な人がスポーツに関われる社会なんだと感じました。
今や日本も、急速な経済成長を求める若い国ではなく、ヨーロッパと同じような成熟社会を迎えつつあります。
そんな中で、スポーツを社会の一部として機能しているドイツのスポーツクラブから学べることも多いのではないでしょうか。